大森地区(大森学区・天子田学区・大森北学区)で行われているお祭りで、まず最初に紹介したいのが「大森天王祭」です。
真夏の8月第1日曜日という猛暑の中、山車(だし)を曳行します。
この祭りの起源は、江戸時代第10代徳川家治の時に、伝染病がはやった際、大森寺の和尚さんが大八車に提灯をたくさん灯して若衆にそれを引かしたところ、伝染病が収まったことに始まるとのことです。
そして今では大八車が山車となり、昭和38年からは、厄年の若者が午前と夜に、以前の各嶋(*)の天王社(*)を巡って、町中を引き回すようになったものです。当日には大森の各嶋に「宿(やど)(*)」が設けられ、そこに嶋の人たちが集まって祭りを盛り上げるとともに、自分の嶋にやって来た山車の梶取・綱係り・車囲いなどの人たちにすいかや冷たい飲み物を出して接待します。
また、この日の朝には、大森の各町内から子ども獅子の隊列が町内を練り歩き、八劔神社に参拝しお祓いを受けます。
一方、夕方から大森・金城学院前のメインストリートには多くの夜店が並び大勢の人出で大変賑わいます。
なおこの天王祭は、名古屋市の無形民俗文化財に指定されています。
(※)大森地区は昔から五つの嶋(東・西・中・新田・向)に分かれており、嶋ごとに天王社がありました。天王社の祭神は、疫病を司る牛頭天王(ごずてんのう:素戔嗚尊(すさのおのみこと)の化身とされる)で、村人は病にかからないように天王社にお参りしました。しかし、昭和41年から行われた区画整理に伴い、新田嶋以外の4天王社は八劔神社に遷されたので、今はその跡地を巡っています。(参考までに京都の祇園祭もこの牛頭天王のお祭りです。)
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八劔神社は、由緒書きによれば、平安遷都の前年793年に、この地方の豪族山田の連(むらじ)によって創建されたとのことです。その後、2回の遷座(神社仏閣が別の場所に移ること)を経て現在の地に鎮座しています。大森の村社として古代から引き継がれてきた由緒ある神社です。祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、日本武命(やまとたけるのみこと)及び天之火明命(あめのほあかりのみこと)の三神です。
年間の神事の中で最大のものが秋季例大祭です。10月19日に近い日曜日に行われ、この日の朝には天王祭と同様に、大森の各町内から子ども獅子の隊列が出て町内を練り歩き八劔神社に参拝しお祓いを受けます。宮神楽、巫女の舞などの奉納もあります。更にその後「棒の手」(後述)の奉納や鉄砲隊(後述)による火縄銃の発砲もあり、厄年の男たちによる餅投げで終幕となります。
当日は、八劔神社前の道路に昔懐かしい屋台が並び、親子連れなどで賑わっています。
現在「馬の塔(おまんと)」(飾り馬を社寺に奉納すること)は、郷祭(後述)で行われるのみとなりましたが、以前は天王祭などでも行われました。この飾り馬の警護をする役目が棒の手隊と鉄砲隊です。
起源は戦国時代にあるようですが、神事芸能や農民の自営のための武術芸能など諸説あります。流派も多くあり、大森は「検藤流棒の手」と言い、天文19年(1550年)に伝わったと言われています。
演武は、木製の棒と竹刀を使うのが基本ですが、太刀・槍・薙刀(なぎなた)・鎖鎌なども使われるようになりました。
演武者は大人だけでなく子どもたちも元気に参加しています。
なお、この検藤流棒の手は愛知県及び名古屋市指定無形民俗文化財になっています。
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鉄砲隊も棒の手隊とともに「飾り馬」の警護の役目を担います。
現在は飾り馬の奉納がない秋季例大祭に参加して、指定の場所で発砲をします。鉄砲は火縄銃で、大勢の人が続けて発砲するので、その音は大森全体に轟くほどです。
大森の宮神楽は、明治10年頃に守山区の山下地区から伝わったとのことです。
秋季例大祭当日に、大森・天子田・大森北の3学区の小学校高学年の児童が太鼓とリコーダーを演奏して、指定の場所から八劔神社まで「道行奉納」を行うものです。
大森地区で5年に一回、八劔神社の秋季例大祭に合わせて行われるのが大森郷祭です。
起源は江戸時代の「飾り馬」を寺社に献馬する風習であり、「馬の塔」通称オマントと呼ばれていました。
この地方では同じく江戸時代に「竜泉寺合宿」という祭礼があり、大森では「大森合宿」として近くの10ヶ村を誘って竜泉寺に献馬をしていました。それが昭和11年まで存続しました。
そして、現在では大森地区のみで八劔神社に各嶋から飾り馬を献馬する「郷祭」として平成26年に復活しました。
祭りの内容としては、隊列を組んで大森の3学区内を練り歩き、最後に八劔神社に飾り馬を奉納するものです。
隊列は、早朝に大森小学校で出発式を行った後、大森村と墨書されたのぼり旗(「幟半(しはん)」という)を持った人と毛槍を先頭に、実行委員長、そして各嶋で選出された人たちからなる「笠ぬぎ」「杖つき」と続き、更に鉄砲隊と棒の手隊が連なって、最後に並ぶのが飾り馬です。また、「中割(なかわり)」といって、隊列の前後を移動して行列が分裂しないようにする役割を担う人もいます。飾り馬は3色の「馬廉(ばれん)」というもので飾られています。(下の写真参照)とにかく長い行列で全部で何百人もの人が連なることになります。
行列は途中数ヶ所で棒の手の演武や鉄砲隊の発砲を行います。
なお、この郷祭は、名古屋市の無形民俗文化財に指定されています。
(この文章の作成に当たっては、大森共存会発行「わが郷土大森郷祭の歴史」を参考にさせてもらいました。)
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